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MAMIN's avatar

先日店のお客様に出すお便りを書いていますと夫から「なんかいいことでもあったんか?」と聞かれました。

「別に何も」といい「何で?」と聞きますと「笑いながら書いていたから」とのこと。

結構これまでもこういうやりとりが何回もありました。

そのたびに「どちらかというと逆なんだけどな」と思うのです。

その時も夫より「今日中に原稿仕上げろよ」と急かされながら書いていたところだったのです。

そんな状態にもかかわらず笑いながら書いていたと言われて不思議な気がしましたが、自分を振り返ってみますと知らず知らずのうちにお客様目線になって書きながら読んでいることに気づきました。

この原稿を読んでどう思われるだろうかと。

それは原稿書きに限らず、人に喜んでもらいたいと思ってさせてもらっていること全般に言えることであり、そういうはたらきは、多少面倒くさくて苦手なことであっても、きっと笑顔で喜んでくださるだろうことを想像するだけで、こちらも自然と笑顔になってしまっているのだと感じました。

「お前は何かしている時いつも楽しそうにしている」と夫は言います。

そのように夫にも見えてよかったと思いました。

そして一昨日夫がおもむろに「いつもお前をみているせいか、きれいな人をみてもきれいだと思わなくなってきた」と言ってきました。

「どうしたの?突然」と笑いながらも私は「それはね、私がしあわせそうにみえるからだよ」と言いました。

「私よりきれいな人はたくさんいるけれど、私程しあわせな人はいないって思っているからそれが顔に出ちゃっていわゆる『しあわせ美人』になってるのかも。それに見慣れてただの美人には興味持てなくなっちゃったんじゃない?」と冗談半分で言いますと「あぁそれでか。そうかもね」と夫も妙に納得してくれている様子に思わず吹き出しながら、こんなちょっとしたやり取りにもしあわせを感じ、改めて私がしあわせでいさせてもらえているのは夫のお陰なんだなぁと思いました。

苦手なことも人様に喜んでもらえるのならと思えば挑戦できますし、それもそのことを応援してくれる家族の存在あればこそと感謝もひろえます日々を大切に、これからも笑顔でよりしあわせを目指して過していきたいと思います。

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けい's avatar

私が子供の頃、母は仕事をしながら家事、育児、田畑とそれは忙しかったと思いますが、家族のことには手を抜かない母でした。今でこそ父は家事も畑もしますが、当時はいっさいせず、母に任せていましたので、毎日母は座ってゆっくりする暇もなかったと言います。そんな母を見て育ちましたので、私たちは母の手伝いもよくしました。母は忙しい中、私たちに教えてくれながら手伝いもさせてくれたのだと思うと感謝です。そして、母が厳しさに向かってくれたお陰様で私たちも母に喜んでもらいたいと思えたのだと、改めて感謝が込み上げてきます。私も、子供達に厳しさに向かう姿を見せられますよう、苦手なことにもチャレンジしたいと思います。

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