『子どもに自立心を持たせるには?』
How to make a child self-reliant?
2021.8.17(火)
御手水舎の亀さん(福井市勝見町 白髭神社)
今日の目標
「今日一日、さりげなく背中をちょっと押します!」
ある時、仏様が道端に立っていらっしゃると、一人の男が荷物をいっぱい積んだ車を引いて通りかかった。そこは大変なぬかるみだった。そのぬかるみにはまってしまって、いつまで経ってもどうしても車は抜けない。
仏様は、しばらく男の様子を見ていらしたが、やがてちょっと指でその車にお触れになった。その瞬間、車はすっとぬかるみから抜けて、男はからからと車を引いて去っていった。
男はみ仏の力にあずかったことを永遠に知らない。仏様の力で苦境を切り抜けたことを知ったら、彼は仏様に感謝したでしょう。しかし、それでは彼が一人で生きていく力は、減ってしまう。
仏様の力とは幸福ではあるけれど、生きていくときの自信に満ちた、真の強さには及ばない。個性は放っておいて育つものではない。一歩を踏み出そうと殻をつつく音が聞こえたら、こちらからも殻をつついて穴を開けてやること。
『続・倫風随想』P203
◎こたつむりママの所感◎
これまで(上手くできた)と自信が持てた時には、きっと見えない力で助けられたのだろうと思えます。と同時に、(うまくできず失敗した)のは、こちらから困難を突破しようとする力が足りなかった、頑張っているつもりだったということなのですね。諦めずに次に向かう姿勢こそが大事です。
これからは子ども達が、力いっぱい頑張って自分の人生を生きていく。重荷になるような親にはなりたくない。親孝行はもう充分してもらっているから、心からそう思えます😊
Today's Goal
Today, I will casually give you a little push!
One day, as the Buddha was standing on the side of the road, a man drove by pulling a car full of luggage. The road was very muddy. The car got stuck in the mud and could not get out.
The Buddha watched the man for a while, and then touched the car with his finger. At that moment, the car pulled out of the slush, and the man pulled the car away.
The man would never know that he had been touched by the power of the Buddha. He would have thanked the Buddha if he knew that the Buddha's power had helped him get through his predicament. But that would have reduced his power to live on his own.
The power of the Buddha is happiness, but it is not the same as the confident, true strength he has when he lives. Individuality is not something that can be left alone to grow. When you hear someone poking their shell to take a step forward, you should poke their shell as well.
(Continued from Rimpu Essays, p. 203)



昨日、朝一番に我が家のお墓参りに行かせて頂きましたが、我が家の墓は他の分家筋のお墓と一緒に3つ並んでおり、お参りする時はうちのお墓だけでなく、あとの2つのお墓も磨きまわりの草むしりをさせてもらっています。
夫とまだ婚約する前のデートのとき、突然「うちのお墓見せてあげる」と言って連れて来てもらったことがあったのですが、私は「お墓を見せたいって変わったひとだな〜」と思いました。
しかし、3つ並んだお墓を見せてもらい「お参りする時はうちだけではなく他の2つもお参りするんや」と教えてもらったとき、ご先祖様や親戚を大事にしている家なのだとわかりあたたかな心をもらいました。
そして将来このお墓に入ってもいいかなぁとも思ったのでした。
夫と結婚して子供が生まれてからは更に家族でお盆やお彼岸、お正月以外にも休日お散歩がてら家族で行かせてもらいました。
私は嫁ですのでお墓に入っているご先祖様とは血が繋がっていませんが子どもたちとは繋がっていて、この子たちはここに眠っているご先祖様のお陰で今ここに存在しているのだと思うととても不思議な感覚で一層親しみを感じたものです。
しかし、子ども達には「今あなた達がここにいるのはご先祖様のお蔭よ」などとは言っていません。
人から言われて気づくよりも、自分で自然と感じられることの方がよっぽど目からウロコ的な感動があるでしょうし、もし気づかなくても自分の力だけで人生を生きぬいてきたという達成感のまま大往生できたならそれはそれですばらしいことだなと思います。
子ども達には人生の最後は「あぁ楽しかった。この世に生まれてきてほんとにしあわせだった」という思いだけでであってほしいと思っております。
子供たちも仏様の手のような多くの支えや導きの中で